川越線朝ラッシュ時ダイヤ考察 (朝ラッシュ編)

川越線

朝ラッシュ時のダイヤグラム

 川越線の始発〜午前9時頃のダイヤグラムを作成してみました。2019年2月現在の時刻表を元に、oudiaで作成しています(時刻表に載っていない回送電車は省略しています)。

限界まで詰め込んで飽和状態・・・

 川越線は、途中笠幡駅及び西川越駅以外の全ての駅で列車交換が可能です。また、大宮 – 日進間は複線で、南古谷駅と川越車両センターの間には本線と並行して入出庫線が設置されており、南古谷駅には入出庫列車が主に利用する3番線もあります。
 それらを持ってしても飽和状態であることは、ダイヤグラムから一目瞭然であることがわかります。
 正味なところ、特に指扇 – 大宮間は良くもここまで詰め込んだなと感心してしまいます。

 始発~9時頃の川越 – 指扇間は、ここには現れていない回送列車が多数走っています。特に5時台は指扇への送り込みと川越への送り込みとで、南古谷駅が大いに賑わう時間帯です。その送り込みの回送を転用することで南古谷始発の電車も5時37分に1本設定されています。
 この辺の指扇始発を何本か川越始発に回せないかと思うのですが、高麗川方面への電車の送り込みのタイミングと川越駅のホーム数を勘案すると、微妙に難しいことが見えてきます。

一切余裕のない列車交換

 今回作成しているダイヤは、時刻表の発車時刻を元に着時刻を推定して作っています。そのため厳密に正確なダイヤグラムではありません。

 しかしそれでいても、南古谷駅と指扇駅での列車交換の余裕の無さがはっきりと分かると思います。特に南古谷駅での列車交換の余裕の無さはほぼ終日続いており、天候や他線影響によるちょっとした遅延で大きなダイヤ乱れにつながってしまう理由がわかります。

昔のラッシュ時はどうだったのか?

 手元に1958年(昭和33年)11月と1980年(昭和58年)10月の時刻表があるので、その両当時の朝ラッシュ時ダイヤグラムと現在のダイヤグラムを比較してみたいと思います。

 まずは1958年11月のダイヤグラムです。復刻版時刻表を元に、oudiaで作成しました。

続いて、1985年3月、電化直前のダイヤグラム。同じく復刻版時刻表を元にoudiaで作成しました。

 1958年及び1980年、いずれも指扇 – 高麗川(東飯能)間ではラッシュ時にもかかわらず毎時1本前後で、閑散具合がわかります。

幹線級路線とは思えない朝ラッシュ時のダイヤグラム

 川越 – 大宮間では、区間列車を増発して混雑に対応しようとしている姿勢は見えます。しかし運転間隔も区間もまちまちで、国鉄らしい、おおよそ利便性を考えたダイヤにはなっていないことがわかります。

 また、1958年と1985年を比較して分かる通り、この27年間ではダイヤがあまり変化していません。的場 – 大宮間の区間列車の運転区間延長・上り大宮行1本増発・区間列車5本増発にとどまり、特に指扇 – 大宮間ではほとんど本数の変化がありません。

 この間の1980年には輸送密度8000人以上の幹線級路線と指定されている川越線ですが、毎時2本~4本というラッシュ時ダイヤグラムを電化直前の1985年まで続けた国鉄にその理由を聞かせてもらいたいというのが正直な感想です。

まとめ

 朝ラッシュ時のダイヤグラムだけを切り取ってみても、列車本数の飽和状態と列車交換の余裕の無さが明らかで、複線化すべきであることがわかると思います。
 電化前と現在で大幅な増発をしたとはいえ、一切余裕のない現状まで増発をして幅の広い車両を導入したとしても、なお乗客数は増加傾向を維持し続けています。
 戦後70年間で沿線人口も輸送密度も倍増以上に至り、現在もなお沿線の開発が進む川越線の複線化を強く希望する次第です。

コメント