川越市駅及び川越駅周辺の建設プロジェクトまとめ

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川越市駅及び川越駅周辺で再開発がにわかに進行中

 過去2件の記事でも特集している通り、東武鉄道川越工場の廃止の可能性が濃厚となり、川越市駅周辺でも再開発が急ピッチで進む可能性が出てきました。

 川越駅周辺でも進む大規模な建設プロジェクトや動向の気になる空きビル等について、上記の川越市駅周辺の動向とも合わせてまとめてみたいと思います。

川越市駅周辺 : スケート場跡地と合わせて広大な土地を確保可能

上記の写真のオレンジ色に囲まれた2つの領域が、川越市駅周辺の再開発に用いられる可能性が高い地区です。

 既に更地となりコインパーキングとして暫定供用されている旧川越スケートセンター跡地(画像向かって上の領域)は、すぐ近くの埼玉県立川越女子高等学校のグラウンドとほぼ同じ程度の広大な敷地です。東西を挟むどちらの道からも川越市駅の利用者が集まる場所にある上にここから西側にはスーパー等の商店がほぼ存在しないため、生活密着型の商業施設の需要が非常に高いのではないかと思われます。
 一方で、この両脇の道路が狭隘でありながら交通量が多いことと、東武東上線第157号踏切が危険な踏切として国土交通省からもリストアップされているということもあり、このまま商業施設を誘致するのはかなり危険であるという考えもあります。

 東武鉄道川越工場(画像向かって下の領域 / 管理人注・本画像では川越軌道区や洗濯場といった設備まで含めています)は、旧川越スケートセンター跡地の倍以上、川越女子高校の敷地とほぼ同じ程度の広大な面積があります。JR川越線・武州ガス本社・川越市駅・入間川街道に挟まれている、かつて電車区であったことを連想させるような長細い台形型の敷地となっています。
 土地自体は平坦ですが、すぐ裏手のJR川越線が掘割を下っていく区間となっており、それを立体交差でまたぐ入間川街道は2〜3メートル程度上る勾配に接しています。そのため、仮にここに何か施設を作る場合は、踏切横の駅構内入り口から民家が数件立ち並ぶ付近までの部分のどこかに入間川街道からの入り口を設置する必要があります。先述したとおり、東武東上線第157号踏切は大変危険な踏切であることから、これに接する形で導入路を作成するのは厳しいのが現状です。したがって、何らかの民間施設を作る場合、民家の立ち退きが必要になることが予想されます。

 かなりトリッキーですが、東武鉄道川越工場をまたいで川越線側にも川越市駅のホームを設置するという案も面白いのではないかと思われます。東武東上線の人身事故発生時には川越市駅での電車の折返しもしばしば行われるため、川越市駅を川越駅のバックアップ乗換駅とするというのは、利用者目線ではアリではないかと考えます。ただ、現実的には掘割区間に駅を新設するコストがなかなか高く付くことも考えられるため、可能性は低いと考えています。

川越駅北側 : 河合塾と東武ホテルの跡地はどうなる?

 上記の記事でもまとめている通り、画像の中央にある黄緑色の線に囲まれた領域である旧埼玉りそな銀行川越南支店跡地には、25階建ての複合ビルの建設計画が持ち上がっています。この土地は1977年(昭和52年)までに川越駅西口土地区画整理事業第一工区として整備が完了して以来中途半端な空き地として放置され続け、43年目にしてようやく開発が行われることになりました。

 同じ中央通り線を画像向かって左上に進んでいくと、オレンジ色で囲った敷地内にビルの立ち並ぶ区画の端に白い建物があります。これは先日クレアモール近くに移転した河合塾川越現役館跡地と、その横の駐車場になります。
 川越駅西口土地区画整理事業の計画道路である中央通り線の付け替え・延伸区間に接するこの場所は、日清紡跡地の住宅街等から川越駅に向かう人の流れに接する一等地です。今後の動向が気になるところです。

 その領域から線路を挟んで右手、アカシア通り沿いにあるオレンジ色の領域が、旧川越東武ホテル跡地です。川越東武ホテルは2020年6月にU_PLACE内に業務形態を変更して移転開業し、現在は完全に空きビルとなっています。
 アカシア通りの拡幅工事も完了し、整備された広大な歩道に面した一等地で、こちらも今後の動向が非常に気になるところです。
 ちなみに、新型コロナウィルスCOVID-19の感染拡大が深刻化した2020年4月頃には、このビルを感染者の臨時病棟として貸し出すのでは?という噂も耳にしましたが、実際には利用されていなかったのではないかと思われます。

川越駅南側 : 草むしている埼玉県地方庁舎跡地

 2015年(平成27年)のウェスタ川越開館と2020年(令和2年)のU_PLACE開業により大幅に変わった川越駅西口周辺ですが、駅から南側の地域には未着手の計画道路や空き地が存在しています。その1つが埼玉県地方庁舎跡地です。

 川越警察署は、1954年(昭和29年)に現市役所付近からこのオレンジ色の領域に移転し、1965年(昭和40年)に庁舎を整備してから1998年(平成10年)に大仙波の新庁舎へ移転するまでこの場所にありました。その後は埼玉県川越地方庁舎として利用され、2015年(平成27年)にウェスタ川越開館と同時の地方庁舎機能移転に伴い閉鎖されました。
 地方庁舎移転後は2年ほど空き地となり、2017年(平成29年)頃から順次解体され、現在のような更地となっています。
 所沢街道に面した導入路は非常に狭く、北側は一戸建てが立ち並ぶため、厳密に道路に面しているのは東側一面のみです。しかしU_PLACEよりも敷地面積は広く、付近に大規模な商業施設があることから、高層マンションと公共広場という使い方等が最も有効ではないかと考えています。

結び

 川越市中心部は、高度経済成長期には既に都市化が進んでいたことからまとまった土地の確保ができず、バブル期にかけての開発ブームから大きく取り残されていました。
 しかし、土地所有者の高齢化や建物の老朽化が激しく、ここのところにきて大規模な再開発案件や移転案件が相次ぎ、にわかに開発ブームが巻き起こっています。

 インバウンド需要の急減により地方都市が軒並み苦しむ中、川越市にはまだ別のチャンスが流れ込んできているという現状を、行政は逃さず捉えつつ、また環境問題や住民トラブル等に注意して、川越市の発展につなげてもらいたいと考えています。

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