川越北環状線今成小室地区の陸橋区間開通!

開通予定日は3月24日

 川越市の脇田新町交差点から市街地の西側を大きく回って福田交差点までを結ぶ通称「川越北環状線」のうち、土地買収や工事が難航し未開業だった今成交差点付近 – 今成2丁目交差点の間が、2019年(平成31年)3月24日に供用開始されることになりました。

 この区間の工事に着手したのは2001年(平成13年)頃で、実に18年越しの開通となります。事業起案は1962年(昭和37年)なので、起案から全線開通までなんと57年を要していたことになります。

事業遅延の原因は県道とJR川越線と東武東上線

 川越北環状線のうち、脇田新町交差点(国道16号線交点) – (県道川越日高線交点)間及び今成2丁目交差点 – 福田交差点(国道254号線交点)の区間については、2009年(平成21年)までに開通し、供用が開始されています。
 20年近くの期間を要したのは全区間の中でも唯一、今成交差点付近 – 今成2丁目交差点付近の陸橋区間です。

 この区間には、一日を通じて交通量の非常に多い県道川越日高線、これまた本数・利用客ともに非常に多いJR川越線と東武東上線が連続して並んでいます。これを回避するための手段として陸橋による高架化と地下化の2つの手段が挙げられ、地域住民の間でちょっとした騒動になりました。地下化すれば排ガスと騒音の問題が抑制されますが、一方では予算と工期がかさみ、また田んぼの多い土地柄地下水の減少や汚染についてが問題となり、最終的には「防音壁を設置した陸橋による高架化」に決定され、工事が進始まりました。
 しかし、高頻度で人や車や電車の通過する場所に架橋することは容易ではなく、また工事方法を巡って一部地元住民が工事に反対し土地買収にも難航したことから、工事はなかなか進みませんでした。

 特にJR川越線と東武東上線の跨線橋区間における桁の搬入と設置は、深夜の鉄道の走っていない時間帯を中心に行っていたため、完了するまで非常に時間を要していたのが記憶に残っています(まだ実家に住んでいた当時、夜間に見に行ったのが懐かしいです)。

 起案された1962年頃の県道川越日高線はまだ田園地帯を走る細い道路で、JR川越線は1時間に1本程度の非電化ローカル線。東武東上線も、当時既に電化こそされてはいますが、単線の鄙びた郊外路線でした。周辺も今のような住宅密集地ではなく、一面の田んぼの中に泉小学校があり、その横にほそぼそと集落があるのみでした。
 建設省による起案から1989年(平成元年)の埼玉県の告示まで計画が紆余曲折したのも、その間の27年間で周辺の都市開発が一気に進んでしまったためであると考えられます。
 そして1989年から2001年の当該区間着手までの間に更に都市開発が進み、バブルも崩壊して不景気な時代に陥り、より一層計画が念入りに見直されたということもこの川越北環状線の開業遅延の原因ではないかと考えられます。

川越市内の交通量はどれほど減少するか?

 現在脇田新町から川越北環状線の既存開通区間を利用して川島町方面に抜けようとすると、今成交差点から月吉陸橋を通って石原町・神明町を経由して行くルートが中心となります。昭和50年代までに開業していたルートですが、開業当時は田畑の散財していたこの沿道には今や団地や一戸建てが密集し、完全な市街地となっています。
 元々交通量の多い県道川越日高線に相乗りする月吉陸橋付近は特に混雑が激しく、今成交差点から月吉陸橋交差点を経由して神明町交差点にかけての区間は大きな事故が特に頻発する区間となっています。

 この相乗り分の交通量が全て北環状線に流れるようになれば、少なからず混雑が緩和され、事故も減るのではないかと考えています。

それでは、また。

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